更新情報

2024.4.20 また書き溜めていた記事を少しずつ公開しています。

今回は区切りを設けました。→ http://mblg.tv/sakayuka/entry/388/
ここ(2023.11)から時系列順に?読んでいただければ。

書きなぐってそのまま尻切れのようになってるものもあるかもしれません。(たぶん電車を降りたタイミングとか)
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どうもご無沙汰しておりました。鮎川です。

なんとなく、これまで下書きに投げ入れたままだったこの「空白期間」の記事をアップしました。(まだ途中ですが)

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距離感に迷う

連休前にNさんに返事を書いてみた。

やはり体調もあったのだろう、良くなりつつある今は、心地よく筆が進んだ。

下書きをし、清書しつつ、何度か書き直しもした。しかしそれも想定の範囲内。予定より少なく済んだ。


たくさん話したいような、
距離を保ちたい旨を以前(報告の頃だろうか)言われたこともあった手前、控えめに徹したいような。揺れながら書いた。


榊に見られたくないのもあって、Nさんはあの方法をとったとも考えられる。
当時は当然メールも電話もしあった。しかし、おそらくはあの報告の前後でアドレスの交換・更新はお互いにとめてしまった記憶。

今こそメッセージアプリの出番のような気もする。が、それは完全に思い上がり、のぼせ、のような気もして控えることにし、手紙を封した。

A.Mucha

僕は美術展の会場で涙した。
作品の世界観に圧倒されて。その完成度の高さに圧倒されて。
与えられた題目に対する自分の発想力や技量のなさを身につまされて。悔しくて。つらくて。プレッシャーで。

今回、人生で初めて目の当たりにした、アルフォンス・ミュシャ。
絵画にある程度興味がある人なら、知っているだろう名前。
定かではないが中高生の頃に出合ったように思う。何かの入場特典でポストカードをもらった。図柄はランダムで、僕は黄道十二宮だった。もっと幼き時には、誰からの影響でもなく「星」や「暦」が大好きで、そこから当たり前のように自分の根底に流れている僕にとっては本当に美しすぎる絵であった。
田舎で、インターネットも今ほどではない時代であり境遇であった。だからそのたった一枚のポストカードが僕のすべてだった。それで十分だった。知れば知るほどミュシャ然とでもいうべきフォーマットは、強すぎ、暑苦しく感じられて、そして一辺倒にも見えて、僕は距離をおいていた。 


絵の依頼は依然として煮詰まっていて、あえてしばらく触れていなかった。
面倒くさいので父と母にも経緯と状況だけはカミングアウトしておいた。
とにかく「詰」まっている自覚こそあったけれど、それはあくまで客観的な感じであった。自分のことでありながら、だいぶ手前の段階で距離をおいて、冷めた感覚で見ている、とでもいうような。

「降りたい。逃げ出したい」とか、冒頭のような気持ちや状況の言語化ができたのは、作品と対面したときだった。

ミュシャはリトグラフ。輪郭線や幾何学の組み合わせ、ややフラットに感じられる着色のせいで、ある種、簡単そうに見えるが、この完成度に至るまでには、当たり前すぎる話ではあるが、並大抵ではないセンス(デッサン力はもちろん、発想、構成)が要される。フラット=省略されていても、貧相でない、むしろそれが紛うことなき正とすら思わせる仕上がり、何であるかわかること、装飾模様として図案化され、随所に組み合わせて敷き詰められていること。そして
「あぁ、おそろしい…」
どんなに小さな作品(挿絵)でも、どこまでも精密に描き込まれていること。解像度が高すぎる。
強すぎ、暑苦しいと感じていたのは、圧倒的な技量と世界観そのもので、僕はもう最初から本能レベルで圧倒されていたのだろう。


打開策になるという期待はなく、ただ時間があって、近くで開催されているからと、立ち寄ってみた次第。
結果的に収穫はあった。依頼の難所、極端な縦横比はミュシャの縦長の絵にだいぶ近く、それは頭ではわかってはいたけれど、いざ目のあたりにしてみてようやく励まされた気分だった。
狙ってないときほど得られるものは大きい。といっても、相手が本当にすごすぎるので、本当に全く参考にならない(自分のものとして落とし込みきれない)。”真似”るのがせいぜいだろう。もうそれでもいいだろう。背は腹に変えられない。

何より久々の悔しまじりの感動の涙は清々しかった。
僕はいつもここから始まる。きっとうぬぼれが強すぎるのだろう。
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星のごとく

貴賤をつけるつもりはないけれど

上質、あるいは重厚な読書は心を落ち着ける。
水底の砂を静かにかき分け、湧き上がる水の感触を確かめる感覚。

本来の自分を取り戻すような。


30代前半までは
奮闘し、鼓舞してくれる物語に活力をもらっていた。
爽快な気持ちになることで満たされていた。

あるいは

いわゆる「しっとり」下手すれば「じっとり」した、心情の機微を精緻にかきとった恋愛(耽美を含む)もの。とか。


今は、読み進めるのが気鬱になるほどの、心が静かに重苦しく、重なり、すれ違い続けるものが、自分に合っているようだ。
自分と向き合っているのかもしれない。現実世界でも。



きっと書籍と自分は合わせ鏡の関係なのだと思う。
本、物語、そこに紡がれる言葉を通して、自分を見つめ直している。気がする。



ヒリヒリするものなら学生時代に読んでいた。好きだったのかもしれない。
それはおそらく現在進行形で同じ心境や境遇だったから。

今読んでいるのは違う。

何も重ならない、はずだけれど、心の部分だけが僕の核と同じすぎて、またそれだけでなく、そこは僕が目を背け続け茶を濁し続けている部分でもあるから、本当に痛くて。

登場人物たちの懸念は、僕の懸念や、課題でもあって。
チラつく展開は、僕の現実や想定される未来を幾度となくかすっていく。

人物たちは僕より少し若く、だからこそ、生々しく感じてしまう。自分が、物語の一つのifの末路の気分で。

都度胸は軋み、不安が頭をもたげ、苦しくなる。
しかしその一方で、わずかな光を必死に感知しようとする物語のそれのように、僕の心も暗闇の中で光があるだろう方向を信じて向く。

光のある方を分かって向く、光にたどり着けるまでがむしゃらに探し続けるのが、これまでだったとすれば、
今は、光を見出す、ような感じだろうか。


昔の(若い)僕が聞いたら、それは負けだと思うかも知れない。間違い(光ではない)と思うかも知れない。そして実際そうかも知れない。けれど、それもまた光だと僕は思いたい。

綴じられた手紙

2月も半ばだったろうか。
年賀状の時季もとっくにおわったとある休日に、ふとポストを覗いたら、僕宛に葉書が届いていた。

最初、奇麗な花の絵が目に飛び込んできたので絵葉書かと思ったけれど、片面、宛名とバックアドレスのみだったのと、手にした紙片の硬さに、それが圧着葉書だと分かった。

検めると、下段の送り主の行に懐かしい名前があった。セクマイの知り合い。
何事だろう、と暫しその場で考える。



榊と知り合うより少しだけ早くとあるSNSで知り合い、親しくさせていただいていた歳上(榊と同年代くらいか)の方、Nさん。

しかし、

榊とは一悶着あった(SNS仲間Aに意図的に仲違いをさせられた)ので、榊と付き合うことになってからは、お互いにぎこちないやりとり(主に年賀状)を続けてきた。

だから、手紙が届くとチリリと痛んだのち胸が波立つ。
当時の記憶が一気に僕を飲み込む。思い出すのはいつも同じ場面。感情。皮膚温度。
手放しでは喜べないのが正直なところ。



時系列的にはこうだ。

僕は、当時の恋人と交際中

SNSで、Nさんや榊、Aなどと知り合い、それぞれとも/グループとしても交流をもつ

Nさんと榊の間で仲違い事件がおき、二人は決別、NさんはSNSをやめる
僕はそれぞれと個別に仲良くする(Aもまたかなり歳上だったので、この人とはSNS上とグループ交流のみ)

僕、恋人と別離

僕と榊が親しくなる(付き合う方向へ向かう)

Aが、今度は僕と榊や、僕らと周りを謀り、僕らは四面楚歌をくらう。
僕と榊はSNSをやめる。
自筆の手紙にて報告


正直、榊とどうこうなってから…もっと正直に言えば、話の流れ的に一応報告しようと思ってから…
「Nさんにとっては酷な話だな。きっとこの選択を複雑に捉えられるよな」
と、ようやく気づいた。

「あんなことがあったのに鮎川くんはよく平気で榊くんと付き合えるね?」
と言われる妄想がやまなかった。

(Nさんは、当時もその後も、そのことについて一切触れたくも触れられたくもないという具合で、そこで時が止まってしまっている。何を言っても聞き入れてはもらえないだろうけれど、Aに謀られたせいで、食い違いや勘違いが起きていたのは、おそらく間違いのない事実で。
和解とまでは言わないけれど、経緯を理解はしてもらい、少しでも軟化してくれたら、と今でもわずかに思う)


どんな文章で報告をしたのかなんて、もうさすがに記憶にない。それまでのやり取りの間に差し込んだ気がする。
黙っていた方がよかったのか思う時もあるが、それはそれで騙しているみたいで僕には無理だった。

その報告の返事だったと思うが
今後のNさんと僕の関係(つながり)をどうするかは、僕に任せる
という一文だけは、今だに脳裏にこびりついていて、思い出すたびにまざまざと肝が冷えるような感覚に襲われる。

試されてるような気がした。
優しさのような、それでいて、何かを、それこそ推し量るような感じがしたから。
当時僕は20代も前半だった。大人って怖いな、と正直思った。苦しいなとも。しかしそれを招いたのは自分だった。僕の残酷さを鏡で突き返されたような感覚だった。



ここまで思い患うなら、いつかの時点でいっそ切ってしまえばいいのに。
会食し、話をし、聞き、時に対等に、時に先輩として、何より目をかけてくれていた恩義を感じていた。何も返せていいないけれど。そういう「ともだち」を手放すのは、惜しかった。
自分もなかなかズルくて弱くて失礼で、煮え切らない。15年ダラダラと綱渡りをしてしまった。

そうこれまでを振り返りながら、エントランスを去る。




さて、いつどこで開くか。



幸いなのは、奇跡的に榊に見つからなかったことだ。

年賀状が届き、それを代わりに受け取った時というのは、その時々によって
「元気にしてんのかね?」と言うときもあれば
「げ。また届いてるよ、」と茶化しつつ満面の苦笑いを見せることもある。
後者なら、受け取りながら申し訳ないなとも思う。


階段をあがり、家のドアを開ける。
開け放しの間仕切りドアの向こうには昼下がりの明かりをふんだんにたたえたメインルーム(ベッドもあるけれど)が見えた。
これまでにない明るさで、春を感じた。
ポストを開ける前となんら変わらない状態。のはずだ。
変わったのは僕だけ。
そう、この部屋を出る時はこんな未来予想できていなかった。


ため息をつきながら座卓につく。

さて、
開けるか。

開け口に手をかけると、圧着葉書って市販してるの? という文具好きの性が顔を出す。
ぺりぺりと間抜けな音を立てながら慎重に開けば、見開きの中央にひと周り小さい面積で粘着シートのテカテカが確認できる。なるほどね、と呟く。そして見慣れたおおらかな文字が目に映った。

なんという変哲もなく素朴な文章。
元気ですか?という趣旨のみだった。

でも、嬉しかった。
それが、嬉しかったのだ。

可能性の限りなく低い、会いましょうねの応答より
どうしてますか?
私はこうです
の方がこんなにも心に軽やかに着地するのかと、心拍数こそまだ落ち着いてはいなかったが、胸はすっとした。



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